L'Arc-en-Ciel(ラルク・アン・シエル)アンオフィシャルファンサイト

hydeless ---hyde声についてのあおりの言い分


逆説的感情

hydelessアルバムが発売されたら、多分買うと思います。シングルでvocallessが入るのは普通なのに、どうしてそういう趣向のアルバムが世の中にないのか不思議です。

たまに思うんです。「hydeの声、邪魔だなあ・・・」って。

ここが人間のパラドックスな側面です。hydeの声に骨抜きにされたからこそ今もこうやってL'Arcを聴き続けている訳ですが、時に(あくまで時に)その声をもう全然聴きたくない、と感じることがあるのです。


魅力のよしあし

hydeボーカルの魅力が「表情、感情、抑揚の豊かさ」であると言う点を、誰も否定しないでしょう。L'Arcの色彩豊かな音には、彼のキャラクターに富んだ声が欠かせません。体温や拍動すら感じられようかという生命感に溢れたhydeのボーカル。彼の声は、暴れ馬のごときL'Arcの音楽にがっつりまたがり、これまた強い牽引力でそれをぐいぐい正しい方向に導いていきます。L'Arcの音楽に感じる大きな感情の振れは、このようなhydeボーカルあってこそ。

しかし悲しいかな、その大きすぎる振れ幅を「押し付けがましく」感じてしまうこともあるんです。例えばショパンのピアノ曲のように、主観の入りすぎた音というのは、聞き手に余裕の無い時は苦しいものです。


L'Arcの音ももっと聞きたい

また、L'Arcの魅力はhydeのボーカルだけじゃないと切実に感じるようになってきたことも、hydeの声を邪魔だと感じる要因のひとつです。HYDEソロを経て復活後改めてL'Arcの音に触れる、するとソロでは聴けないほどに充実し統一されたL'Arcの音楽がそこにはありました。その時心底、L'ArcはL'Arcじゃなきゃ駄目なんだ、もっともっとL'Arcの音を聴きたい、と思うようになったのです。けれどこれまたhyde声の存在感に耳を奪われて、よく聴こえないヨ、となる。

hydelessアルバム、なんて出ないでしょう、でももう少し、楽器の比重を重くしたアルバムは出てくれないものでしょうか。hydeの声が隠れてしまうほどに楽器の主張するL'Arcを、ライブだけでなくCDでも味わいたいものです。


2005/09/09
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