L'Arc-en-Ciel(ラルク・アン・シエル)アンオフィシャルファンサイト

hydeの麗し歌詞 --- 感性から生れる言葉


衝撃的

私がL'Arcを好きになった頃、L'Arcの音楽要素の中で一番心魅かれたのは、hydeの麗し歌詞でした。 ごめんなさい、ミュージシャンなのに、バンドなのに、hydeは詞よりも音楽の力を信じているのに、やっぱり麗し歌詞でした…。

当時私は音楽より言葉の力を信じていました。

衝撃的でした。 彼の作る音同様、フレームやディテールはいびつ不規則、たまに助詞の使い方や英語の文法など間違っていることもありますが、例えばMr.Childrenの桜井さんほど紡ぎ出す文章は饒舌ではありませんが、関係あるでしょうか。モディリアーニの歪みにケチをつけるようなものです。


「色彩」よりも、「陰影」を

私の好きな詩に、ヴェルレーヌの「詩法」というものがあります。

何よりもまず音楽を 色彩よりも陰影を

また中原中也の詩ではこう書かれます、

野望の上に造花は咲いて、迷った人心は造花にすがる。―さて花は造花ほど口がきけない。

単語や文章に華やかさをと力むあまり、言葉は造り物となり、自然の花に漂う陰影は削がれてしまう・・・。世の中では枯れない造花が好まれ、薄く陽を透かした花弁、虫食いのある葉、生花の芳香といったかすかな「ニュアンス」は、いつの間にか隅へ追いやられてしまう・・・。

世の中の音楽に付けられる歌詞こそ、その骨頂だと思っていました。陰影も何もない、見た目華やかな色彩ばかり誇張した作り物の言葉たち。

けれどL'Arcのray・arkに出会って例の衝撃です。完全降伏でした(むしろ幸福)。


ダリアな言葉たち

私のL'Arcとの出会いとなったray・arkの中から、当時特に衝撃の強かった歌詞を挙げます。

ばらばらに散らばる花弁、雫は紅

日本語のバランスとリズム。この一行でこの詩的創造性。

死の灰か何か?運命の時に救われるか賭けようぜ最後に笑うのは誰か

媚びない世界観。モチーフ選びのセンス。

転がる車輪に轢かれた花束を乗せて

聴く者の中にメランコリックな情景を即座にこしらえる巧みさ。

見慣れた未来にも別れを告げて壊れた幻想を描こう

逆説的でいびつな比喩も

途切れたレールを絵の具で注ぎ足したら鮮やかな明日が動き出した

こどもを諭す様な素直で優しい比喩も。

お気に入りの服にさあ着替えたなら駆け出して

死と生を鮮やかに対比させる若々しい感性と。

この大地を焼き払えばいいその全てを奪い合えばいい

唐突な言葉で聞き手の感情をかき混ぜる、強い叫びに。

荊にまみれたこの血が枯れ果てても貴方への心を抱いて

耽美で華麗な色彩感覚まで。

hydeの言葉はまるでダリア、色彩も華やかだけど陰影もそこはかとなく漂っており、大胆さが少しいびつに見えても、圧倒的な魅力があって、詞に感じる脆さはむしろその美しさ故かと思うほどです。


余りある「感性」

「キレイめ単語の羅列」だと言われる方もいるかもしれません。けれど、hyde詞の本当の魅力は、そんなキレイめ単語の弱点を補って余りある「感性」なんです―「余白」と「余韻」の「絶妙さ」なんです。フレームの「歪み」すら、聞き手の受け皿にフィットできるよう計算し残されたアジャスターのよう。ディテール間に置かれた「空白」こそ、永遠を描きうる唯一のキャンバスだと言わんばかり。

これが感性だと思うんです。これこそhydeの詞に漂う陰影だと思うんです。

彼の「感性の結晶」というべき詞を二つ。

時は奏でて想いは溢れる 途切れそうな程 透明な声に
The color is singing , Shining rain is overflowing all in your mind Look at the skies
… and then I feel― I feel Love flies

2005/09/09
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