L'Arc-en-Ciel(ラルク・アン・シエル)アンオフィシャルファンサイト
いばらの涙 ---「ray」収録
薔薇の名前stat rosa pvist ina nomine , nomina nuda tenemus "薔薇は神の名付けた名前、私達の薔薇は名も無い薔薇" words〜hydeを聴く〜この曲は、「殉死者の抱く神への愛」を歌ったものらしいです。歴史上、福音をのべ伝える中で、多くの使徒が迫害に合い、罪として火にかけられました。彼らは苦境にあっても信仰を貫き、喜んで神の名の元に死んでいったのです。 「荊にまみれたこの血が枯れ果てても貴方への心を抱いて」 「茨(または荊/棘)」は、"トゲのある草木"、または"植物のトゲそのもの"を指します。英語で「thorn」はトゲ、針、いばら、人を苦しめるもの、辛い境遇、を指します。 "When they had twisted a crown of thorns, they put it on His head・・・" イエスの受難にあたって、人々はいばらを冠に似せイエスの頭に載せると、彼を十字架にかけました。トゲの付いた冠を冠した彼を「ユダヤの王、万歳」と言って侮辱したのです。このことから「いばらの冠」は「受難」、「辛い境遇」の象徴となりました。「荊」の表記も、死刑判決を受けたイエス(刑)に「いばらの冠」(くさかんむり)が冠されたことを受けてのものだと思います。 またバラを雅語的に「いばら」と表現する場合があります歌詞中に「荊」を用いながらも、曲のタイトルは敢えて「いばら」と平仮名表記。おそらくhydeはタイトルに、"バラ"と"トゲのある冠"、という二つの意味を持たせたかったのでしょう。 「荊」に象徴され、「いばらの涙」と例えられる「ゆがんだ愛」からは、深紅の色彩が滲みます。「いばらの涙」とは、棘を戴き額から流がす血のことであり、薔薇の色をして歪み焼かれる涙のことなのです。 「燃えゆく身体は灰になって奪われても 汚れてなかったなら その時は貴方が連れて行って そしてそっと抱いて」 「肉体」の死は「罪」からの開放であり、「魂」さえ汚れていなければ、キリストがその魂を天へと引き上げてくれる・・・。神の愛に仕え死ぬのなら、神の国へ行くことが出来る・・・。 "キリストの名のために非難されるなら、幸いです。・・・だから神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂を委ねなさい。" 信仰に対する裏切りの罪は、決して清められることがなく、天に入ることが許されないことを彼らは知っています。「Surely, I am coming quickly.」・・・然り、私はすぐに来る―信徒達は、聖書に書かれたこの言葉を信じ、天が地へと舞い降りてくるその時を待っています。 歪んだメロディこの曲に聴く緩急激しいhydeのボーカルが昔から大好きです。この曲の赤く破滅的な雰囲気が大好きです。真実も虚偽も神も悪魔も愛も憎しみも全て全て、混沌の内に飲み込み渦巻き溶解し崩壊していく過程のようなサビに至っては、もう在り得ない、在り得ません。 彼らの言葉を借りるなら、Killing me。抱いて〜♪のhyde特有歪んだメロディに殺されました。 2005/09/29 |