L'Arc-en-Ciel(ラルク・アン・シエル)アンオフィシャルファンサイト

LOVE FLIES ---「REAL」収録


「完成形」

1998年に彼らの人気が急上昇。彼らは水を得た魚、脂の乗ったステーキ?のようにエネルギッシュな活動を見せてくれました。この1998年を若さのままに走り抜けた青春期だとすれば、続く1999〜2000年は、自分達を客観視しつつ自分達にしか出来ない表現型というものを確立していった、いわば成熟の時期だったように感じます。

旋律も演奏もそれに乗せられる言葉も、全てが「楽曲」という作品のもとに 完全なバランスを持って構成されているような印象です。

そんな1999年後半にリリースされたこの曲を聴いて、「ラルクもここである意味完成を見たかな」と感慨を覚えたものです。それは彼らの「世界観と表現の構築」という点においてです。

私は全L'Arcの楽曲の中でこの曲を一番愛しているし、この曲こそL'Arcの最高傑作だと独り信じています。一聴しただけでは、地味な曲に聴こえるかもしれません。メロディに大幅な振れは無く淡々と進行し、歌詞も具体的なモチーフを持たず、始終ぼやけた抽象的観念の中で歌い上げられます。

けれどこの曲は最初から最後まで驚くほどに曲の持つイメージを崩さないのです。明るいポップな歌とも暗いヘビーな歌とも甘く幻想的な歌とも分類できない。貫かれたそれは「L'Arcの抱いたイメージの形」としか言えず、既存のイメージの枠に頼らない、彼らのみ構築しうることの出来た愛と光の『概念』なのです。

寸分の狂いも無く展開される「LOVE FLIES」という作品。無駄が全くなく、一つ一つの音はそこに「在るべきように在った」としか言えない。音の中に沈んでいると、崇高な気分さえ味わうのです。そこに神が在るかの様に。

山頂の眺望から、全く不規則なはずの世界のそこかしこに神の意思を感じるのと似ているかもしれません。世界の存在同士が互いに引力を持ち、在るべき様にそこに配置されバランスをとっているような。

L'Arc作品中ここまで「完成された」曲も無く、しかも「明るい」とか「暗い」とか「幻想的」とかそういう形容を超越した、あるいはその全てを含んだとも言える曲風がこの楽曲の存在を際立たせていることは間違いありません。明るい曲も優しい曲も冷えた曲も哀しい曲も幻想的な曲も描ける彼ら。明るい曲ならこれ、暗い曲ならあれ、と選択出来るかも知れないけれど、その異質な曲同士を比べることは出来ないもの。それならばその全てが交じり合ったものこそ表現の極みであり到達されるべき境地だとは言えないでしょうか。

様々な感情と色彩が織り交ぜられ、聴く者の心の、その瞬間の形に合わせて音を響かせてくる。聴くたびに異なる色を投げかけられ異なる意思で励まされる。神の世界へ・・・それこそ自らの愛(Love)とも言える精神が天に上がり(flies)少しの間癒される・・・。

私は、あまりこの曲を聴きません。この曲の存在を大事にしているから。非常に重要なときにしか聴かないし、それで十分なのです。聴くときは何時間も延々に1曲のみのリピート。この曲を聴くのはたいてい「内に迷いを抱えている」時か「内に愛情を抱いている」時。音楽というよりは、確かな音的空間世界、と言ったほうがしっくりくるこの曲に溶けていると、何かしら束縛から解放されていくのを感じます。

LOVE FLIES と私。

この曲が発表された頃、前の失恋を引きずっていた私は、鬱々として億劫な時期を過ごしていました。どんなに自分で自分に言い聞かせても、世界は実際の季節とリンクするようにだんだん暗く冷え切っていく。 それがどうでしょう、この曲を聴いているうちにそんな気分が一新されていきました。

晴れ晴れとして、誰かに何かをしてあげたい、という素直な気持ちを運んでくれたのです。それは強制でもなく、それがいいことだから、という下劣な考えが浮かんだからでもなく、自然に、そう在ることが当たり前のように、そう、自然な流れだったのです。私は気づかぬうちにこの曲を通して天を垣間見、神の祝福を受けたのかも知れません。

そして今でも聴くたびに祝福を受けているのかもしれません。世界は愛に満ちており、自分は愛されており、自分も他を愛することがいたって自然なことなのだ、と、毎回気付かされているのかもしれません。

words〜hydeを聴く〜

『果てしない君のもとへ どれくらい近づいただろう』

短い前奏の後、hydeが歌い始めます。 片恋はこの言葉に尽きます。なんと単刀直入に言い当てたことでしょう。 相手の事をもっと知りたくて、もっと近づきたくて。ややもするとうじうじした気持ちが湧いてきますが、この曲にはそんな感情、カケラもありません。hydeの声は自信に満ちていて、既に相手を包み込む大らかな愛情が溢れているのです。

『The color is singing』

そして、この言葉で始まるサビは本当に素晴らしい。 タイトルの通り、相手に対する愛情が光溢れる空へ、世界へ、羽ばたくのを感じずにはいられません。

まず、colorsingする、という表現・・・ ロック歌手の歌う曲の中でこんな素晴らしい表現に出会えるとは正直思っていませんでした。 それは虹色という単語が安っぽく聞こえてしまうほど、想像しうる限り、あらゆる色彩伴う光が世界に溢れかえっている様を歌っているのです。 しかも、singという言葉を使うことで、それが世界中の喜びと幸福に満ちているというイメージを付加しています。

Dancingでも、runningでもない。hydeが敢えてsingingという言葉を選んだことの意味を感じながら、目を閉じて曲に思考を浸してください。 まるで光が飛び跳ね絡み合うかのような演奏と、光をまとったvocalの伸びやかな声に導かれて・・・。網膜の裏に、かつて見たことも感じたことも無い、光の共鳴しあう世界が・・・"綺麗"という言葉ではとても足りない、愛に満ちた世界の様が浮かび上がる筈です。

『Look at the skies, and then I feel love flies』

「the skies」とは天(天国)を指します。

ここで少し聖書の世界観が必要になります。

聖書の中の観念では、世界にはまずが在って、その内に宇宙が創られたとされます。天に比べれば人の在る宇宙なんて塵同然の小ささであり、またそれだけの価値しかありません。宇宙は最期の裁きの日に焼かれるためとって置かれている状態です。最終的に残るのは神の住まう天のみ。現世での命など、宇宙の焼かれたあとの永遠の時間に比べれば、何てこと無いものです。人々はこの裁きの日に天に入っていけるようにと、キリストの教えを信じ神に誓いを立てるのです。信じて受け入れる者のみ、裁きの日に完全となる資格を与えられ、完全でなければ天に入ることは出来ないのです。かつてアダムとイブは原罪を犯し、不完全な者となってしまったため、楽園を追放されてしまいました。

天へ迎えられれば、そこには痛みも苦しみも悲しみもない・・・ただ「溢れる輝き」のうちに永遠の時と幸福を約束されます。 けれど生のうちはまだ「叶わぬ」世界。この現世は、所詮闇に包まれた宇宙でしかない。 「遠すぎた闇を越え飛び立」ち、そして「空を見て(Look at the skies)」そこには約束された地が開かれている、と。そして感じるのです、「この愛は永遠になるだろう(love flies)」と。

『souls fly』で、「魂は死なない」と訳すのもそういう意味からだったのです。肉体は滅んでも、完全な魂(souls)は天へ入る(fly)のです。

(かと言ってこの歌が死後を歌っているわけではありません。生死を超越した時間感覚なだけです。愛が天へ舞い上がり永遠のもとに在るようだ、と、そう光のうちに感じているだけなのです。)

音も言葉も果てしない広がりを持って迫ってくる。『人を愛する』ということを表現しようとするとこうなるのか、と眼の開かれる思いです。 この曲を聴く者は皆、光を操ったかつての画家、モネやルノワールらでも届かなかった『光』が、確かに音の向こう側に存在するのを感じるでしょう。

絵では決して描けないものでも音楽は表現してしまう・・・この曲で、音楽の力を改めて感じました。



2007/12/29
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